ものを大事に使って、送り出すこと
今日は靴を2足、手放しました。
一見きれいに見えるかもしれませんが、
実際はぼろぼろにも程があるような靴。
ひっくり返すと、こんなになっています。
2足とも、何度も靴修理に出して修理してもらっています。それでもかかとのゴムはなくなり、ヒールも傷だらけです。
左の靴は、入社してすぐに購入したエスペランサのもの。ものすごく歩きやすくて、これを履いて、通勤だけでなくいろんなところへ行って。気づけばぼろぼろでした。写真にはありませんが、似たデザインのものをリピしているくらい、お気に入りです。
右の靴は、大学入学のときに買ってもらったスーツについていたパンプスです。スーツを着る機会には必ずこの靴を履き、就活も一緒に乗り越えた靴でした。
2足とも、もうこれ以上履けないというくらいまで履いて、履いて、大切にした靴。
手放すときも自然に、おつかれさまという気持ちがわいてきました。『人生がときめく片付けの魔法』の著者、こんまりさんの言葉を借りると、まさに送り出すという気持ちでした。
できるだけ物を減らして生活したいと思っているのですが、物を粗末にすることはしたくないな……と思います。
私の家族はみんな、あまり物に執着がありません。なんでも潔く捨てられて、もったいないという気持ちをあまり持たない家族をうらやましいと思う反面、物が可哀想になって、胸が苦しくなることもあります。
片付け本や断捨離のメソッドも実践したことがあります。確かに爽快な気持ちにはなりました。でもどうしても、ごめんねという気持ちがなかなか消えませんでした。それは、物への執着があるからだと思います。いまだに捨てることには罪悪感が少し残ってしまいます。
私自身、一切物を粗末にしてこなかったわけではありません。大切にできずに捨てたり、手放した物も、今まで数えきれないくらいありました。
ひとりで車を運転できるようになって、今まで捨てていた服や、いらない雑貨はなるべくリサイクルショップへ持っていくようになりました。買取り金額よりも、自分の着ていた服がただのゴミにならなかった、ということの方が、私には重要でした。
そこから、どんな物でもなるべく使いきる、ほかの用途を考える、どうしてもできない時は手放す、手放す手段がないときは、なるべくリサイクルできる方法で捨てる。と、捨てるまでに自分なりの段階を設けるようにしています。
もちろん、入ってくるものも意識的に少なくするよう、努力しています。自分の中にある執着を利用して、本当に執着できるものしか家に入れない、代わりに壊れるまで、使えなくなるまで大事にする!と心掛けています。
今、私はもうすぐ20代なかばに差し掛かろうとするくらいの歳です。今までの人生でたくさん捨ててきた物たちへの償いにはならないかもしれませんが、自分なりのルールにのっとって、残りの人生、晴れやかな気持ちで送り出せる物を、少しでも増やしていきたいです。