地震で考えたこと、できること……
昨日は余震が続き、不安な1日を過ごされたことと思います。
少しでも早く、もとの生活に戻れることを願います……
昨夜、仕事から帰宅すると、テレビのどのチャンネルも地震の特別番組になっていて……
震災の経験……
私は幼い頃、阪神淡路大震災を経験しています。
もっとも被害がひどかった神戸からはかなり離れたところに住んでいましたが、当時はそこまで免震や耐震がきちんとしていない団地に住んでいて……相当揺れが激しかったのでしょう、父が私に、母が妹にかぶさって、もしタンスが倒れてきても子どもに直撃しないよう守ってくれようとした……という光景を、今でも何となく記憶しています。
また、東日本大震災は直接経験はしていないのですが、ちょうど数日前まで私は東北をバックパッカー旅行していて、案内していただいたり、特別に入れていただけた場所があったりと、現地の人に本当に良くしてもらいました。
震災の起こった日。関西にいましたが、微弱な揺れを感じました。ただ、その瞬間はまさかそれほど大きな地震が起こっているとも知らなかったので、『長旅の疲れで貧血気味なのかな?』くらいにしか思っていなかったのですが……
いざテレビをつけてみると、自分がほんの数日前に訪れた地域が津波に飲まれていたり、家屋が倒壊して見る影もない姿が放送されていて、心の底からショックを受け、本当に落ち込んでしまった時期もありました。
危機感を感じた。でも……
先日も、会社で仕事をしている最中に、関西で地震が起こりました。(緊急警報のエリアメールも流れるほどの規模でした…)
ですが、揺れが収まり、震度2だったことを知ると、焦っていた会社の先輩たちも落ち着きを取り戻し、再び変わらない仕事風景に……
その日の帰宅時は、防災グッズを揃えなきゃ…ということで頭がいっぱいになっていましたが、少し日にちがたつと『今揃えなくても大丈夫かなぁ?』という気持ちに。まさに、喉元過ぎれば……というものです。
それは、私がいままで地震で『本当に』怖い思いをしていないから、心のどこかで『自分の身には起こらないこと』という風に捉えているんだと思います。
地震にあう確率は?
もし、スピオくんの仕事の都合で関東に引っ越したとしても、これまたいつか来ると言われ続けている首都直下型地震にあうかもしれません。
その他の地域でも油断はできません。
私はどうすればいい?
やはり、非常時に生き延びるために備えを持つことは大事だと、改めて実感しました。
また、自宅で被災した場合、帰宅難民になった場合と、起こり得るパターンを想定し、防災グッズを車や職場に分散させることも必要かもしれません。
のんきすぎる実家の両親や祖父母、スピオくんなど、『大丈夫』と言い張って備えを持とうとしない人の分も準備してあげることが、私にできることの1つかもしれません。
東北に対して私ができたこと。
私の愛するナオト・インティライミは、『未来スケッチ貯金箱』というボランティアプロジェクトを東北に対して行いました。
ファンから募った寄付金をナオトが直接現地へ届け、そのお金はサッカー教室の開講や、震災で破損した現地の伝統芸能の道具の修復などにあてられました。
詳しくは、こちらの記事をご覧ください。
私も、大切な思い出を残してくれた東北になにかしたいと思っていましたが、有名人でもない、当時は学生でお金もない、ボランティアにいける時間もなかなか確保できない……そんな私ができたことはほんの小さなことだけでした……
私は、大学卒業前の時間を利用して仙台に再訪しました。なにかボランティアができたら……とも思っていましたが、実際にできたことは仙台の市街地にある復興市場へ行き、福島や宮城の方が手作りされたアクセサリーや雑貨を購入しただけ。
実家においているものも多く、写真がほぼありませんが……
むすび丸のマスコットがついたイヤリング。
宮城の主婦さんの手作りです。
写真はありませんが、むすび丸のアクリルたわしも買って実家で使っていました。
また、使いすぎて壊れてしまったのですが、手編みのお花マスコットがついたヘアゴムなんかは、福島で被災されたお姉さんが目の前で仕上げてくれました。
こういったものを、現地の方とお話ししながら購入したり、現地の応援ノートにメッセージを残したり。そんな小さなことしかできなかったのですが、なにか力になれたなら幸いだと思っています。