ふきんの洗濯は、煮洗いから洗濯機へ……
タイトル通り、ふきんの洗い方を変えてみて、様子見中です。
※うちのふきんはずっとこれ。ふきんとして使うにはボロくなってしまったら台ふきへ、もっとボロボロになったらウエスに。とことん使ってから捨てます。
いままでふきんを取り替えて、汚れたものが何枚か溜まったら大きめの鍋で煮洗いしていました。
理由はいくつかありまして……
- たらいを手放したので、漂白剤でのつけ置き洗いができない。(いらない鍋でやっている方もいらっしゃいますが、うちにはいらない鍋もない)
- なるべく漂白剤の類を使わずに清潔を保ちたかった
- 1枚1枚手洗いするよりは、一気に煮洗いするのが楽だった
ですが、煮て洗うのも少々時間がかかるため、仕事が忙しい時などはふきんは溜まる一方……。特に清潔にしたいお弁当作りの際に、きれいなふきんを使いたくても……そういえば洗ってなかったんだ!ということがありました。
また、煮洗いしたふきんを絞るまでの間、少し冷ましている間に他の用事をしていたら、ふきんの存在を忘れていたことも……。気付いたときには「やばい……だいぶ経ってるけどこれ、まだきれいなの?」となってしまうこともしばしば……。
なので、最終手段。
ふきんを洗濯機で洗うことにしました。
ずっとためらう原因となっていた母親の言葉
うちの母親は決してマメなほうではなく、むしろかなりのズボラなのですが、ふきんだけは毎回かならず手洗いしたり、漂白剤で除菌していました。「洗濯機で洗うなんてありえない!!!」と母はずっと言っていて。
私が台ふきを洗濯機で洗っていることを知った時にも「汚い」「ありえない」と言っていました……。
※実家では、台ふきは飲食店で見かけるようなものを使っており、毎回捨ててます。
※↑このようなヤツです。
そのため、私の中には強烈な「ふきんは手洗いするものなんだ」「手洗いが無理でも洗濯機はもっと無理なんだ」という意識があったのです……。
普通の洗濯物と分けてりゃいいかという結論に
ネットで検索してみても、「ふきんは手洗いじゃないと嫌」派の方と、「きれいであればイイ」派の方で結構分かれていました。
結局、使い手がどこまで許容できるか、なにを求めるか……というところなのだと思います。
だとしたら私は、手洗いすることが負担であったり不便であるならば、もういっそ洗濯機で洗ってしまおうと思いました。だって、母がうちのふきんを使う訳じゃないんだし。。。
それでもなんとなく、長年言われ続けたことと逆のことをするには抵抗があって、せめてこれだけは守ろうと以下のルールを設けました。
- 普通の洗濯物とは分ける(さすがに下着や汚れ物と洗うのはやめようと。それに、うちではボロくなったふきんを台ふきにしていて、ふきんも台ふきもデザインが全く同じなので、うっかり混ざってしまうのを防ぐためにも。)
- 柔軟剤やその他香り系のものは使わない。なんとなく、食器に香りがうつりそうで。
この間さっそく洗濯機で洗ってみましたが、煮洗いすることを思えばかなり楽でした。いつもは自分でふきんを絞っていましたが、洗濯機だと脱水までしてくれるので(当たり前ですが……)私がやるのは干すだけ。普通に洗濯するより量も少ないので、おふろに入る前にスイッチオンしておけば、出てくる頃には干すだけの状態になっています。
煮洗いだってまぁ、鍋に水とふきんをいれて火にかけ、しばらく沸騰させたら冷まして絞って干すだけなのですが、やっぱり付きっきりでいなくてもOKというのが私にとってはとても嬉しかったです。
もし洗濯機で洗ってなにか困ったことや不都合がでてきたら煮洗いに戻すつもりでいますが、いまのところ困ることはなさそう……。
家電はえらいなぁ
シンプル生活を始めて、つくづく家電はえらいなぁと思うようになりました。本当は私がやらなきゃいけないことを代わりにやってくれるのですから。
もう少し生活にゆとりができたら、家電を減らして自分でやることを増やしてもいいのかもしれませんが……今の私の生活は家電がないと終わります。(笑)
今の私がシンプル生活のためにできることは、「欲しい家電」と「必要な家電」を誤らないことだと思います。
たとえばノンフライヤーやホームベーカリーが欲しいなぁとは思いますが、生活にどうしても必要なわけではない。
オーブンは欲しい欲しいの末に購入しましたが、ほったらかしていても料理が完成したり、料理の幅が広がるなど非常に役に立っています。ですがこれも、実家で使っていた経験があったから。
欲しい!だけで買うと結局使いこなせないことも多いから……そういう家電をひとつでも増やさないため、物欲に負けないことが大切だと思いました。